2010年09月26日

「恥」

人は、恥ずかしいという感情を味わうことによって、
そのような思いを二度としないようにふるまおう、という気持ちに
なるものである。そうした場合の一種の行為規範をいう。

つまり、恥をかかないようにしようとする意識によって行為が
導かれたとき、その意識内容をさして「恥」というのである。
(「日本大百科全書」(小学館より))


 
鳩ぽっぽは「恥」というものの意味が全然わかって
いないのではないか?

恥というものを「学習」してみてはどうだろうか?
 
人間は恥を知っている唯一の動物だといわれることがある。
その場合、恥というのは、人前で恥ずかしい思いをするという、
単なる感情体験をさすのではない。むしろその恥じらいの体験を
もとにして、その後における自分の行為を方向づけるモラルなのである。

元来恥ずかしいという感情は、目だった行為をしたり
皆の前で失敗をしでかしたりしたとき、あるいは自己の欠点や醜い
と思っている容姿が指摘されたときにおこる。前者では、
その行為によって自分に対する評価が下がるかもしれないことを恐れて
いるのであり、また後者では、他人に対する自己の劣位が知らされる
ことになる。いずれにせよ、自分についての自己評価が、他者との
関係のなかで相対的に低下するとき、恥ずかしいという気持ちが
おこるのである。いいかえれば、恥ずかしさというものは、当人の自尊心が
対人関係のなかで損なわれるような状況で生じる。

要するにこのような羞恥(しゅうち)心は、人の笑いものになったり、
世評が悪くなることを心配する気持ちと結び付いており、したがってまた、
人の目による批評は、社会的な行為を方向づけるうえで大きな規制力を
もつことになる。そこで、恥ずかしいという感情は、人のうわさや
嘲笑(ちょうしょう)を恐れるという「恥」の意識に転化されるに至る。

この点に関して、アメリカの文化人類学者ベネディクトは、次のように
述べている。「恥は、他の人々の批評に対する反応である。他人から公
然とあざけ笑われ、値打ちがないといわれるか、あるいは、あざけられた
と思い込むか、そのいずれかによって、人は恥辱を被る。どちらの場合でも、
恥はよく効く道徳的拘束となる。だが、それには、実際に人前のことであるか、
それとも少なくとも人前でのことだと思い込むか、といった条件が
必要である」(『菊と刀』)。つまり、周りの他人を想定し、
その嘲笑(本人にとっては恥)を回避しようとするわけだが、それは、
「自己の行動に対する世評に気を配るということ」であり、したがってまた
「他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」ことだ、と
ベネディクトはいう。 [ 執筆者:濱口恵俊 ]
 

私はあなたが政治家を名乗り、かくも図々しく、しゃあしゃあと
私ならば云々と話をしているのを聞くと「恥」を知らないのかと
正直思うし、政治家以前の問題ではないかとも思う。
 
国民から2度もNOを突きつけられたのは誰かをしっかりと
自覚すべきではないでしょうか。。。


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posted by ぐんじとしのり at 17:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする